プロフィール

ようこそ!「大人の塗り絵 世界の街角から」 へ
このサイト管理人で、塗り絵の素材を描いている 守屋寿人(もりやひさと)です。
三重県津市でぶどう農家をしています。
妻・長男・長女・次男の5人家族です。

 

1 おいたち

現在は三重県に住んでいますが、東京は港区北青山と大都会?出身です。
アスファルトとコンクリートの高層ビルに囲まれた街です。
東京は意外と緑が多かったりしますが、
子供のころは光化学スモッグ警報がしょっちゅう出てたのを今でも記憶しています。
そのころから田舎にあこがれていて、
自転車に乗れるようになってから、よく一人で遠出をしていました。
小学生のうちから、時間があれば海まで走りに行きました。
海といっても、東京の海です。
コンクリートの岸壁の、港です。
あんまり解放感はありませんでしたが。
小学校高学年になったころから遠出をするようになり
千葉の九十九里浜や、小田原の方まで自転車で出かけたりしていました。
絵を描くのは好きでしたが、それ以上に自転車が好きで、
ばらして、剥離剤で塗装をはがして、好きな色に塗りなおして、
あれこれ改造して、乗っていました。
どうやらこのころから「塗る」というのが好きだったようです。
それはいまでも続いていて、今乗っている車はペンキで全塗装しているので、
子供らは恥ずかしがって私のクルマには乗りたがりません(笑)

 

2 念願の田舎で一人暮らし

大学に進学する際、「田舎」に行くことが常に頭にありました。
どうにか受験勉強を頑張り、茨城県はつくば市で一人暮らしを始めることになりました。
今ではつくばエクスプレスが開通し、つくば市も都会のにぎわいですが、
私がいたころは、陸の孤島、なんて呼ばれていました。

ここで初めて、ロードバイク(当時はロードレーサーっていいましたね)に出会い、
すっかりはまって、自転車競技をするようになったのです。
在学中の大半は、そこからさらに田舎へ飛び出して、ひたすら自転車にのる毎日でした。
授業が始まるまでの早朝数時間、筑波の山を駆け巡り、
土日はさらに足を延ばして、遠くは栃木県の日光まで行ったりしました。
都会育ちの私には、田舎の風景はどれもこれも新鮮で
道脇にある「馬頭観世音」や「道祖神」「不動大明」などの石碑に心を震わせていました。

 

3 社会人になってもなじめず、渡仏

自転車づけの大学4年が終わり、バブルがはじけかけたころでしたが、
運よく自転車部品メーカーで、世界的にも有名な、一流企業に就職することができました。
今から思うと、ホント、よくこんないい会社に就職できたものです。
ですが、たった2年でやめてしまいました。
福利厚生はしっかりして、上司も同僚もいい人ばかりで、
仕事も充実して、好きな自転車に携われる仕事で
でも、何が不満かって、青空の日に、室内で仕事をすること、でした。
わけわからない理由ですね(汗
でも、その時は切実に思っていたのです。
いまでもはっきり覚えています。
本社ビルのエレベーターで8階まで登ったときに見える、大阪、堺の街並み。
広がる青空。
そとはこんなにいい天気なのに、今からよく分からない英語の会議(日本人なのになんで英語?)
会議が終われば、自転車の車輪がガンガン回り、ブレーキダストが舞い散る試験室で計測。
こんな環境をいち早く脱出したい一心でした。

フランスのワーキングホリデーが開始されるニュースが入ってきたときは
何も悩みませんでした。
フランスです!自転車レースといえば、ツールドフランス。
本場フランスに行くチャンスです。
中学生のころ、地図帳みた、地中海の風景、あそこに行けるのです。

 

4 フランスで絵を描きだす

フランスでは、南仏プロバンスにある、
エクスというそれはそれは、素敵な街に住むことになりました。
たくさん衝撃をうけましたが、とにかく、目に映る景色がどれも鮮明で
日本の風景よりコントラストが数倍あがっているような感じです。
もう、どうにもならなくて、自然と絵を描くようになりました。
この塗り絵サイトで紹介している作品の多くは、
フランス滞在中にスケッチした絵です。
自転車に乗り、プロバンスの街を訪ねて、絵を描く。
そんな幸せな1年間でした。
ビザは1年間でしたので、ビザが切れると同時にプロバンスを出て
自転車にスケッチブックと着替えを積み、
数か月間、スペイン、モロッコ、イタリア・・・と旅してまわりました。

5 日本に帰国して、気づけば40歳
そんなフランスでの幸せな日々も過ぎ、日本に帰ってくるとそこは
バブル崩壊の不景気真っただ中。
そうそう就職先はありません。
とりあえず実家のある東京で、メッセンジャー(自転車便)をしたり
海外旅行の添乗員をしていましたが、
学生時代から付き合っていた彼女と結婚することになりました。
それまで私は国内外、転々としていたこともあり、
結婚と同時に、妻の住んでいる三重県で新しい生活を始めることにしました。

住めば都といいますが、初めて三重に来たときも、ショックでした。
フランスとは違って、なんかモノトーンの、田舎町。
都会育ちなので、県庁所在地の津駅周りの建物が、なんでこんなに低いのだろうって
不思議に思ったものです。
そこでサラリーマンを始めるのですが、これも辛かったです。
生活するためには、働くのは仕方ないことだと思っていましたが
このままじゃ体がもたない。
ここでできることはないのか、って思う中、
フランス滞在中に見た、街を一歩出るとブドウ畑が広がる景色を思い出して
そうだ、ブドウ園をやろう!
と、サラリーマンの傍ら、1年かけて農地をさがし、どうにか交渉して
7000㎡の農地を借りることができました。
セイタカアワダチソウとクズに覆われた、耕作放棄地でしたが、1年かけて草刈りをし
ブドウの木を植えて、早朝畑仕事をして、仕事に行き、土日は丸々畑仕事。
そんな生活であっという間に30代は過ぎました。

 

6 農業で独立するも、行き詰る

ブドウの苗木を植えるところからスタートした農園も、10年も経つとブドウの樹も成長し
サラリーマンと兼業では手に負えなくなります。
そこでついに脱サラして、農業一本で家族を養うことになりました。
ブドウ園を7000㎡もやれば、十分な収入が得られる計算ですが、
ひとりでこの面積を管理するのは無理がありました。
結果、予定収量の半分にも満たず、野菜を作って日銭を稼ぎ
新聞配達や日雇いバイト、夜勤などで現金を稼ぎつつ、ブドウの世話をする毎日。
台風がきてハウスをめちゃくちゃにしていったり、
梅雨が長くてブドウがみんな割れたり
やっとできたと思ったら、カラスとアライグマに食べられたり
苦労の連続です。
もともと、楽観的な考えですが、
さすがに10年経ってこのままじゃやばいっておもうようになりました。

 

7 大人の塗り絵にであう

好きなことで始めた農業も行き詰りかけ、
副業と農業で早朝から深夜まで働く日々が続き、
精神的にもきつくなってきたときに
塗り絵に出会いました。

塗り絵なんて子供がする、ヒマつぶしみたいなものかと思っていましたが
無心になって塗ることで、心と体を落ち着かせて
瞑想やヨガのような、効果があるらしい、
と知ったのです。

その頃の私は、とにかくいっぱいいっぱいでしたが、
そういえば、昔フランスでたくさん絵を描いていた
あの頃着色していなかったものが、たくさんあったはずだ。
と押し入れから20年近く前のスケッチブックを取り出し、
着色をしてみました。

そしたらこれが面白い。
時間を忘れて、無心になって、将来の漠然とした不安、焦り、
お金の心配、家族のこと、畑のこと、アライグマのこと・・・
みんな忘れて、絵が出来上がるころにはすっかりリフレッシュできていたのです。

すると不思議なもので、いままで行き詰っていたと思っていたことが、
たいしたことに思えなくなって、
もっと自分の時間を大事にしよう、
何をやるべきか、取捨選択と、切り替えがスムーズにできるようになっていきました。
そのおかげで、農業も、副業も順調に業績を伸ばすことができるようになり、
すっかり経済的にも自立することができるようになりました。

そしてこの塗り絵の面白さ、効果を多くの人に知ってもらいたい、体感してもらいたい
そういう思いで、私の描き貯めたスケッチを線画に起こして
塗り絵サイトを始めることにしました。

新型コロナでこの先どうなるかわからない、
漠然とした不安を感じる方も多いのではないでしょうか。

そんな時に、だれでも手軽にできて、楽しく気分をリフレッシュできる
大人の塗り絵をぜひ試していただきたいです。

塗り絵を通じて、毎日を自分らしく、楽しく過ごすことのお手伝いをすることが、このサイトの目標です。

長文お付き合いいただき、ありがとうございました。

守屋寿人